手すりを設置したいとの依頼を受け、打ち合わせをしました。
そのお宅のご家族は内装業を営んでおり、まぁ話はスムーズでした。
手すりを設置する場合、介護保険サービスではレンタルと住宅改修工事の両側面から何が最適かを考えます。
場合によっては販売品も含みます。
ここで考えるのは最もマッチするものということだけでなく、サービスのバランスも同時に考えます。
レンタル、販売、工事、どれをとっても利用可能額に枠があるので融通が利くレンタルを優先することが多いですがその限りではありません。
本日のケースでは、レンタルの手すりを使いながら必要性や設置位置などをレンタル品で見極めてから工事をするということになりました。
住宅改修工事では申請から承認、工事までに相応の時間がかかるため、レンタル品を使いながら工事の話を進めるということはよくある話です。
そんな話がスムーズにできました。
その後、ご家族が内装業ということでお仕事のお話を少し伺いましたが、軽天やら石膏ボードの話になり、なにやら懐かしいワードがポロポロと続きました。
20数年前、僕は「荷揚げ屋」をやってました。
ビルやマンションの現場でひたすら建築資材を運ぶという超マッチョな男らしい仕事です。
当時、マッチ棒よりもか細くひ弱なモヤシ男だった僕は金を稼げて体も鍛えられる一石二鳥の仕事を見つけたと思って嬉々として現場入りしました。
荷揚げ屋初日の苦しみは今も鮮明に思い出します。
船橋のとある駅、とあるマンション工事の現場で石膏ボードを100枚くらい運びました。
ズタボロです。
現場を出るころ、足が上がらず引きずるように這うように直でダイレクトで襲う筋肉痛に悲鳴を上げながら駅に向かいました。
駅に着き階段を見上げて帰る事を諦めて駅前の漫画喫茶で入店と同時に爆睡しました。
その後、2日ほど身体がバキバキで何もできなかったですが、凝りもせずまた現場に出て痛みに耐えながら少しずつボードを楽に持てるようになり、身体は変化していきました。
筋トレみたいなストイックなことは僕はできないのでちょうどよかったんです。
半年もすると体が大きくなっていることに気づきました。
今では見る影もないですがイイ身体してたと思います。
その当時、ガクトやエグザイルが体脂肪7%とかなんとか言ってるのをTVで観ましたが、僕や荷揚げ仲間はみんな3%とか5%とかが普通でした。
そんな風に身体が出来上がってくると仕事を楽にこなせるようになるので1日に何件もこなせるようになります。
僕は1日5現場がMaxでしたがもっとやってる人はそれなりにいました。
1現場を早ければ30分で片付けちゃうので、近くに都合よく現場があれば流れるわけですが、それは采配するスタッフとの関係性もあるのでなかなか希望通りにはいかないものでしたが、実力がつけば日当が上がるので3現場回れば3万円以上いくのでそれくらいで良しとする人は多かったように思います。
僕は1現場で1万円とちょっとでしたが、トッププレイヤーは2万円近かったので5現場回った日にはウハウハです。
馬鹿みたいに飲みに行ってましたね。
馬鹿みたいな飲み方してました、みんな。
肉体のみで金を稼ぐ最高の仕事でした。
ただ、そうは言っても資材の取り扱いには多少の技術が必要でした。
物の重心の見極めや身体の細かい動かし方、体力の限界、荷揚げ屋でなければ身に付けることができなかった感覚を多く獲得しました。
たまに引っ越し屋の手伝いとかもあって、高級なデカい仏壇とピアノの搬入には度肝を抜かれましたが、それも荷揚げ屋でまともに仕事ができれば通用するというのもわかり荷揚げの仕事は益々好きなったりしました。
そんなことを思い出して楽しくなりました。
クレーンの事故で亡くなった仲間がいます。
辛いこともありましたが、あの日々は僕の血肉になっています。
いいことばかりじゃないけどわるいことばかりでもない。
介護ベッドの搬入で、エレベーターのない集合住宅の5階とかに運ぶことがたまにありますが、そんな時はやたらと燃えます。
物を運び出すと小走りになるのはあの頃の癖なのでしょう。
今でもたまに週1位ならバイトしたいな、なんて思います。
今やっても50枚くらいはいけんじゃないかって思います。
その後2日死にますが。
荷揚げに燃えた仲間たちはみんなどうしてるだろう。
飲みたいな。
ブガー・ビートは鳴りやまない