Reレディ、ステディ、ゴー

僕は田舎者なので、若い頃にそれはもう強烈に東京に憧れました。
オシャレだとかなんだとかはどうでもよく、ただただドリームを追いかけました。
その頃に仲良くなった友人の8割はくすぶった炎を今も消せずにいます。
1割の友人は、生き方を180度変えて、ある意味での成功を掴んでいます。
残りの1割は消息を絶っています。

10代、20代の貴重な時間を空っぽのドリームに捧げた僕は間違いなくくすぶった炎を抱えて大人になった大多数の中の一人です。

成功したなら言うことはないですが、失敗でさえも僕にわかりやすい形で訪れることはなかったです。
だからダメだったのは言うまでもありません。

割り切って次の人生に進めたきっかけがなんだったのかはよく覚えていません。

よく覚えているのは、このままじゃダメだと自分と向き合った日々です。
恥ずかしさや虚しさや苦しさや悲しさは痛いほど刺さりましたが、それらは全て僕に融けました。
だから僕は今生きていられます。

花が咲かなかったからといって種を育てた事が無意味だったとは思いません。
なぜなら、それは今もまだ育てているからです。
水をあげなかった日はありません。
咲いてほしい花の姿は今と昔では違いますが、それはなんだっていい。

置かれた場所で咲きなさいと言う人もいれば、ここではない何処かへと胸を焦がす人もいます。
答えなんて人それぞれで、誰も何も咎められないです。
今も昔のドリームを追う友人をある意味では尊敬するしバカにもする。
若さという条件を失った僕等が同じ夢を見てどうする。
変わる時、ターニングポイントはあったはずで、それを見過ごした、見逃した事は本人が一番わかっていること。

会いたい友人に言いたいことがあるけど、おせっかいでしかないことはよくわかってる。

でも、放っておいたら死んでしまいそうな友人に一言、クソが、と言いに行かなければいけない気がします。

突き上げたままの拳。
振り下ろす場所がないんだろう。

燻った炎を消してほしい。
別の篝火を灯して欲しい。

新しい日々が始まるぜ。
声高らかに。