誠実さのかけらもなく笑っている奴がいるよ

誠実とは真面目に生きることでも噓無く生きることでもありません。
自分と向き合い、自分に問いかけることだと思います。

狂っているのは僕か社会かどちらかで、ほとんど多くの人にとって「僕」「私」が狂っているのが正解でしょう。
魑魅魍魎の社会を生きていくために、自分の信念が折れることなんてよくある話。
百鬼夜行に飲まれて自分が壊れてしまうことなんてよくある話。
落ちぶれても腐ってもひねくれても、血反吐はいて泥水すすって這いつくばっても、それでも生きようと思うから狂うしかない。
堕ちた者が悪いのか?
墜とされた者が悪いのか?
清廉潔白でいることが本当に大事なことなのか。

負けた人間が弱いのではありません。
壊れた人間が弱いのではありません。

ぶれずに自分を保てる強い人もいます。
でも、皆がそんなに強いわけない。
その強さを誠実と言ってしまったら皆が不幸です。
社会はそんな風にはできていない。

弱さを受け入れ許して向き合うこと。
それが強さだと思います。

いつも正しい判断ができるわけではありません。
わかっていながら悪手をとることもあります。
自分を守るために他人に危害を加えることだってあります。
正当性なんてものはありません。
全部背負って自分と向き合うこと。
意外と出来ることではありません。
でも、そうすることだけが慰めです。

神様に賄賂を贈って天国へのパスポート手に入れても別にいいと思います。
それで本当に天国に行っても満足できないでしょう?
そんなもんじゃないでしょう?
こんなはずじゃなかったって嘆くでしょう?

隠している手に何を秘めているだろう。
見せることはない。
ただ、自分だけは向き合え。

それだけです。
それで行く道にはきっと希望がある。