時をかけるオジサン

タイムマシンは空想の域を出ませんが、タイムマシンが登場するSF作品は数え切れません。
タイムマシン作品の代表作といえばやはり「BACK TO THE FUTURE」ですかね。
国産ならドラえもんとか?
多くの物語で、タイムマシンを使用する目的は過去に戻り何かを修正することです。
みんな後悔ばかりだな。
時を超える手段として、乗り物を利用する移動と、装置を利用する転送に大きく分かれますが、こうした理論がかなり現実味を帯びてきているのが面白い。
最近のSFは本当に科学者の研究結果なのだろうかという程に理論が構築されています。
そのマジっぽさに引き込まれます。
地球の自転を逆方向に光速で進むというやつが僕は好きですが誰の仮説だったか忘れてしまいました。
あとはインターステラーの5次元の理論も面白いですね。

僕はもう過去には決着をつけたのでタイムマシンは要りませんが、もしタイムトラベルができるなら自分の過去のためではなく、過去を乗り越えていない誰かの為に使うのもいいかなと思います。
偉人に会いに行くのもいいなあ。
恐竜を見に行くのもいいなあ。
一年後の未来を見に行って戻ったら株を買って金持ちになるのもいいだろうか。
いや、それは虚しいな。

オジサンが昭和から令和に飛んでコンプラ社会をぶった切る。
クドカンの「不適切にもほどがある!」を観ました。
科学技術に重きを置いていないからScienceFictionとは言えませんが、特殊な設定でないと描けないストーリーで多くの問いかけを残しました。

僕は物作り出身の人間なので昭和の一大プロジェクトには憧れがあって、それだけで昭和を肯定してしまいそうです。
が、単純にいい時代だったなんて思いません。
大人達は恐かったし社会は厳しかった。
時代が変わった分だけ僕も歳を取っているから正しく比較できませんが、令和はそんなに悪くないと感じています。
昔のように共同体に強制参加させることは随分なくなったと思います。
個人が尊重されるようになり、人と人の距離感には柔軟性が生まれたとも思います。
きっと社会は昔より優しい。
ある意味では冷徹になったとも言えるかもしれませんが。

最後に出演者皆が歌って踊って寛容を訴えました。
寛容は捉え方によって違う面を見せます。
ヴォルテールが宗教間の弾圧や迫害を背景に説いた寛容論は200年以上も前に著されたものですが、未だ人類は不寛容。
寛容であれ、という思考、姿勢の具体性を示す鍵が、多様性、なのかもしれませんね。
扱いが難しい多様性ですが、人類が一歩進むキーワードなのかもしれません。

制作陣の渾身の一撃。
…2024年当時の表現をあえて使用して…
のテロップ。
R-指定の、
どこに居てもこんな時代と思ってしまうかも
の意味。

僕らはいつまでも原始的だし大して変わることはないかもしれません。
考え続けろ、問い続けろということかもしれません。
その過程、不適切でもかまいません。
それが誰かにとっての一石になるかもしれません。