言葉の姿

やりがい搾取を僕は全く逆の意味で捉えていました。
単純労働と明確なルール、マニュアル漬けにして機械的に労働させること、仕事にやりがいを求めさせないことをいうのだと思っていました。
つまり、やりがい、を搾取するのだと。
実際には、やりがいを餌に低賃金や長時間労働を強いる行為なのだと改めて認識し直しました。
言葉というものは間違えて覚えてしまうとその後の考え方に大きく影響します。
概念を間違えてしまうわけですから、気を付けないといけませんね。
搾取の倫理観は奴隷制くらいまで遡らないと正しい議論ができないのだとか。
生半可な知識は身を滅ぼします。
勉強しなおします。

人に伝えたい言葉というものは、伝えたいように伝わるものではありません。
その姿形が一定ではないことを予め理解しておかないといけません。
聞き手の数だけ解釈があります。

僕等は文字や言葉を蔑ろにしていないだろうか?
世の中全て誰かの言葉と文字で動いています。
コンピューターだってプログラムで動いています。
エネルギーだって数値化できます。
現象だって解説されます。
僕等は思うことや考えることを言語化します。
でもその前に、心にポッと芽生えた瞬間の気持ちは言語の支配を受けていません。
その気持ちを整理するときに言語で誘導します。
この時、自分の知らない言葉を使うことはできないから、語彙力が乏しいと自分の心すらままなりません。
言葉を、表現を知るということは自分、他人、社会を真に理解するために必要なことです。
そして成長へと繋がります。

そう思うと、あまり成長してないのではないか自分、、、

とりあえず飲んで明日からまたがんばろう。