歴史は繰り返さないが韻を踏む

日本では金儲けが悪いことのように思われることがあります。
未だに。
海外と比較して、というのはよくわかりません。
そう言われてはいますが、海外生活の経験がないので実感はありません。
ただわかるのは、日本史を紐解いていくと、金に対する嫌悪感は坊主と百姓によって育てられたものだということが少しわかります。
職業柄なのでしょうが、清貧思想と相性が良かったのでしょう。
それを変えようとした者は多かったはずですが、自身が金持ちになることから更に一歩踏み出して社会を変えるところまで行動したものは少ないです。
明らかな結果を出したのは信長と秀吉ですが、金の本質を理解して変革を起こしたのは間違いなく信長でしょう。
天下布武は暴力による支配ではなく経済の掌握だったことが現代ではわかっています。
戦は手段にすぎず、信長が手に入れたかったのは流通の拠点と街道だということがよくわかります。
褒美に与える土地が足りなくなることもわかっていたから、茶器に価値を作り出した。
その政治力、天才ですか?
現代で描かれる信長像と実像は乖離しています。
文化を愛し文明を支え政治を変え既得権を破壊した。
戦による日の本統一は争いを無くすため。
その全てに金が有効であることをよくわかっていたんですね。
浪漫を語らずただ暴力を振り撒き金を集めて夢を追っていたのでしょう。
例え本能寺で倒れていなくても、日の本が統一されて新しい時代がやってくるまで寿命が持ったかは微妙です。
信忠が後を継いで叶えることも難しかったでしょう。
光秀を討った秀吉が主の敵討ちで台頭するまでの経緯にはとても計算高い策略の臭いがします。
根拠なしと否定されていますが、黒幕説はやけにしっくりきます。
秀吉が信長の上を行こうとしていたのは戦にも統治にもよく表れています。
大いに夢を語り多いに夢を語らせ、力を持て余したのは反動だったのでしょうか。
この二人をずっと見てきた家康が上手くいったのは納得がいきます。
家康が算盤をはじくとき、夢を見るでも浪漫を語るでもなくただ願っていたのですから。
時は下り明治の夜明け前、世界中で同時多発的に起きた紛争は一つの答えを求めていたのでしょう。
世界は一つになりたがっているのだと。
人間がいよいよ成熟し、権利を理解し始めたころなのだと思います。
あらゆる運動が活性化し加速し衝突しあって潰しあって、残ったものは金でしたとさ。
この資本主義の始まりに異を唱えた者や楔を打とうとした者たちの名は現在でも崇拝され現代版に焼き直され語り継がれています。
渋沢栄一は、論語と算盤、と言って商売に武士道を持ち込んでいます。
論語は、権利思想が薄いところが良いと、評されていますが、、武士道のように自信と向き合う思想とは相性が良さそうです。
更に時は下り、成長を終えた国から破綻と淘汰が始まっています。
軸を変えれば成長の芽を探す機運はまだありそうですが、残念ながらトップたちは自分さえよければいいので変革を押さえつけます。
自分の寿命よりも、会社、社会、政治が一日でも長ければ自分は逃げ切れる、と平気な顔をして言う。
下の世代の問題は下の世代が解決すればいいと、平気な顔をして言う。
面倒な置き土産を残しておきながら。
それならば言わせてもらう。
今すぐそこをどけ。
医学が発展し老害が長生きしみんな不幸になる。
昔はサイクルが早かったから先人の失敗の傷は浅かった。
今はそうはいかない。
あるところでは飽和し、あるところでは不足している。
あるところでは潤い、あるところでは乾いている。
それは別に普通のことですが、人も場所も固定されてしまっているのが良くないのです。
変えようとする者、抜け出そうとする者、何かを待つ者、何もしない者、その全ての者に役割が隠されています。
自分を信じる者は動き始めています。
けれども、願いを塗りつぶすように夢を見て、浪漫を語る。
違うだろう?
片手は空けておけ。