僕たちはどう生きるか

最近はあまり聞かなくなりましたが、昔は手に職をつけろ、とよく言ったものです。
僕も方々でよく言われました。
職人の世界では修行も必要でした。
ある種の伝統のようなものが口伝され古くからの技術が継承されてきました。

機械文明はそれを壊したわけですが、壊して無に帰すのではなく、新しい技術で再構築しました。
本来、時間をかけて修得するものだった技術は、プログラムに置き換えて誰でも同じ作業ができるマニュアルに変わりました。
物作りは存在する価値、意味、意義、全てがひっくりかえりました。
コストや雇用、供給、景気などあらゆる面で社会を前進させましたが、代償として、物作りからは温もりを、文化からは伝統を、労働者から情熱を奪いました。

そうは言っても全てが置き換えられたわけではなく、現代でもいしっかり知識、経験、感覚が必要な場面は多い。
むしろ高度な科学技術を必要とする開発は各国競いあっているし、宇宙やエネルギーなど未知のモノづくりには当事者だけでなく皆が心躍らせています。

はっきりと二極化したのだと思います。

科学の発展段階では、人類は錬金術と永久機関という夢を追っていましたが、どちらも人智の成熟に反比例して可能性が失われ、遂には科学的に不可能と証明されてしまいました。

電気の登場以降、目まぐるしい発展を遂げた人類が次に支配するのは核です。
エネルギー問題の解決には不可欠です。
宇宙開発にもCO2の変換もオゾン層の再生も科学でしか解決できません。
プラカード掲げて練り歩いたところで何も変わりゃしないし何も守れない。

錬金術と永久機関、どちらも絶対的な定義があり、それがある限り叶えることはできないわけですが、少しだけ条件を変えることで「もどき」での完成はもう目前です。
というか、もはやその概念から離れて良いのでしょう。
あとは既得権との戦いですが、遅かれ早かれ技術が勝ち抜いていくのは確かでしょう。
革新的な技術が古臭い常識を駆逐していくところを僕は見たい。
社会には混乱と混沌が蔓延し不幸がバラまかれるでしょうが、歯喰いしばって生き延びるしかない。

最先端は素晴らしいですが、皆がそこに立てるわけではありません。
追従するものにも取り残されるものにも、そこにはそこの社会があります。
階層が分かれる社会が本格的にやってきます。

自分の生き方を人任せにしてはいけません。
どう生きるか。
どう生きたいか。

自問自答。