代案を出せ論争に対するそもそも論

アイデア、企画、提案に対して反対が出たとき、代案を出せとキレる者がいます。
これが良いとか悪いとかって盛り上がることがよくあるようですが、こんなものは悪いに決まってる。
代案を出せなんて恥ずかしいことをよく言うものだ。
発案がショボいから反対されてる。
反対があったなら練り直せばよいのです。
考えて考えて考えまくるのです。
自分の力不足を他人のせいにするな。

まれに、感情で否定されることもありますが、それはまた別問題です。
また、ただ反対したいだけの人もいます。
ポジション・トークで自分の存在示したいだけです。
案なんか聞いちゃいない。
これもまた別問題ですから、その要因を取り除くのが先決です。

案が通らないのは、単純にその案に魅力がないからで、何か欠落しているのです。
無論、完璧な案などなく、どこかしらに問題は抱えているものですが、それは磨いていけばよいことです。

代案を出せと他者に迫るのは、自分の考案が最上と決めつけている節があります。
自分にさえも。
複数の意見をぶつけ合うのが議論であり、議論を勝ち抜いた論理だけが日の目を見ます。
ちょっと誰かに反対されて何も返せないで八つ当たりする程度の人間はさっさと退場してほしい。
後が閊えてる。

給料を貰うにしろ報酬を稼ぐにしろ、仕事で金を得ている人間は誰もがプロです。
正規も非正規も関係ない。
平も役職も関係ない。
老若男女も関係ない。
プロなら仕事を遂行するのは当たり前です。

プロとして、
「代案を出せ」

「だったらやってみろ」
を言ったらお終いです。

優れた代案を出されたり、さらりとやってのけられたら、お前いらないじゃんwってなりますね。
僕は反論する側に立った時には代案や対案、補足案は用意します。
他人の仕事にケチをつける時は相手を上回るつもりで挑みます。
だから、代案を出せとか、代わりにやってみろと言われたらこなしてみせます。
相手の立場はなくなります。
だから、そんなことは言わないでほしい。
何もそこまで追い詰めたくて言うわけではないのです。
それに、そもそも何かを練るときというのは途中でいくつも案が浮かぶものです。
一つの案が出来上がる頃には、棄てた案や使えそうな案の一つや二つはあるものです。
それを予備として持つくらいのことは百戦錬磨の者なら普通にやっているはずです。

人のせいにしている者は責を果たさずに権利を主張している。
義務と権利はセットです。
こんな基本的なこともわからずに世に出てしまった者たちがひょんなことから発言権を持ってしまうと目も当てられない。
見苦しいし目障りです。

代案なんて求めちゃいけない。
他者に求める意見はただ一つ。
「反論せよ。」
これだけでしょー