ファシリテーターの不在

時間が決められている会では、ご意見や質疑応答の時間は誰も挙手も発言もせず、会が終わってから数人が講師や議長の元へ駆け寄り色々と聞きたがる、という光景がよくあります。
PTAや自治会などの全員参加型の活動の会議などでは特に顕著です。
質疑応答が活発だとその会が長引いて、帰りたい人はイラつきだします。
会議をうまく運んだりまとめられる人がいると有意義ですが、手腕を求められるファシリテーターはそうそういるものではありません。
ほとんどの会議はグタグタです。
そうした空気を読んでのことでしょう。
互助や共助の観点から全員参加にするのはある意味では平等だとは思いますが、平等は幸福をもたらすものではないと歴史を知る現代の僕らはわかっています。
みんながみんな運営に関わりたいわけではない。
決まった役割をこなし義務を果たせれば十分と考える人も多数います。
裏方でサポートをするのを好む人だっています。
それをわかっているから、とりあえず閉会を待って、その後で個人で動く。
そんな様子が見受けられます。

空気を読まないメンタル強者は平気で主張するわけですが、ある学童の保護者会で「仕事と子育てで忙しいのに、なんでこの会議に参加しなければいけないのか。その制度を変えてほしい。」と言うものがいます。
あなたのその仕事と子育てを支えるために学童があるんですよ。
その学童の活動を決めていく会議になぜ出なければいけないのかという思考そのものが理解できません。
決まったことに異議申し立てはしません、何でもします、と委任状でも一筆書いて不参加ならわかります。
会議に参加しないということは、あとから文句を言わないということです。
四侯会議に参加したかった大久保利通は言いたいことが山程あった。
欠席した会議から王政復古の大号令までの流れができた事を承知している慶喜は最初から諦めていた。

感情だけでモノを言ってはモンスターです。
排除されてしまいますよ。

個人主義は結構です。
組織の弱点をよく知ってる。
組織にも弱点を補う力が持てるといいですね。
参加させない権利などあったらどうなんでしょう。
それもまた危ういですかね。

僕は会議で主張するのは苦手ですが、みっともないことはしたくないですね。
メンタル強者が怖い。