おじさんが使う文章、特にSNSでの絵文字や顔文字の使い方に若い子は引くのだという。
ふむ。
なんかわかる気がする。
けれど、これっておじさんだからではなく、その個人のパーソナリティの問題ではないかと思います。
世代が変われば流行り言葉や語彙が変わるし、通じない言葉や言い回し、ジョーク、死語だってあります。
しかし、本質は別にあると思います。
凝り固まったおじさんはすぐに、最近の若いもんは、って言います。
男なら、女なら、子供なら、老人なら、ならならなら。
ざっくりと一括りにした物言いに拒絶反応を示すのは若者ばかりではありません。
僕だって嫌です。
そもそも、この現象そのものがおじさんと若者という構図になっているのが気に入りません。
社会で、団体で物事を動かす際にはどうしたってある程度の括りは必要です。
そこから溢れるケースには個別対応が必要です。
一人一人と向き合って相手を認め、主語が、対象が君と私とならなければお互いに想いも言葉も通わない。
物事を大きく動かす時と細かく調整する時とでは指示も説明も案内も何もかものやり方が変わるものです。
そうしたマクロとミクロの見方、対応力がない大人が粋がると嫌われてしまいます。
年齢は関係なく個人の問題なのだろうと思います。
まったく人の話を聞かず自分の意見を通したいだけの人はいるものです。
そうゆう人が年を取って力を持つといよいよ手が付けられなくなります。
取り巻きはイエスマン、反対勢力には圧力をかける。
取り巻きだっておこぼれがおいしいから従っているだけで陰では酷いこと言ってるものです。
対話ができなくなった年配者は嫌われる。
もう仕方がないですね。
今日も唾を飛ばして、最近の若いもんはっ!
全てを決め付けた物言い。
うんざりです。
まぁよくある話。
どこにでもある話。
誰にでもある話。
僕はこの構文の打ち消し方をずっと探していました。
ずっと見つけられずにいましたが、そのワケがわかりました。
僕は対話を求めている。
否定したいわけじゃない。
つまり探していなかったんですね。
求めていたものと探していたものが違ったわけですね。
あるわけないです。
決め付けられた枠を飛び越えて対話の土俵に上がってみせましょう。
おじさん構文