20〜30年前くらいに、フェミニズムをテーマにしたアルバムを作ったバンドがいました。
自称フェミニストとして性や社会を切り取って、更に細かいテーマで完成させた楽曲を並べて、どう?みたいな仕上がりになってしました。
フェミニズムの考え方、解釈、定義が一般的に謂われているものと随分違うなという印象があります。
そもそも、そのアーティストがフェミニストなのかどうかも微妙なところです。
飽くまでも作品のテーマ、というだけのことかもしれません。
そのアーティストの表現ではアルバム全編に渡り一貫して、女性上位、という立場をとっています。
世界中で謂われているフェミニズムではハッキリと、男女平等、と謳っていて、それが一般的のようです。
そう言いながらも、女性の地位向上を図るだけでなく男性を侮辱し貶める行為があり、地位の反転を望んでいるように見受けられることも事実です。
ミサンドリーという男性嫌悪の考え方があるようで、フェミニズムとは別物だそうだが、フェミニズム運動ではミサンドリーを受け入れている。
女性の地位向上の先に男女同権があるという構図が成立するそうです。
大きな矛盾を孕んでいます。
秤にかけるような行為では本質的な解決は望めないはずです。
女性の、とか、男性の、という分類から初める主張では立場が行ったり来たりするだけで根本的な解決は望めそうもありません。
僕は亭主関白というヤツが死ぬほど嫌いですが、だからと言ってフェミニストではないし、フェミニズムの理解もありません。
が、彼女らが言いたいことは少しわかります。
平等な機会と正当な評価を望んでいるのだと思います。
それは立場の弱い女性を含めすべての弱者の共通の願いなのだと思います。
単純に能力が評価される世の中になったらいいなと思います。
後からその人が男性だった、女性だったといって何が問題なのか。
能力の評価に性差が無い、というのが目指すべきところでしょうか。
もう少し広く、立場やルーツの差が無い、を目指せるといいと思います。
ただし、正当な評価とは良い時も悪い時もです。
そうでなくては意味がない。
性差別問題の根はとても深いので簡単に取り組めるものではないことです。
男性だって、男らしさを求められることに苦しい思いをしている人はたくさんいます。
僕も少年期はガリガリのもやしっ子で男らしさの欠片もない子供だったので嫌な思いをたくさんしました。
女性に女らしさを求めるとセクハラ認定ですが男性に男らしさを求めるのは正当化されていました。
女々しいとか女の腐ったのとか言われましたが、酷い言葉ですよね。
父や男性教諭に言われたのは怒りで済みましたが、母や女性教諭に言われたのは複雑な深い傷として残りました。
母達はどういうつもりで、どんな思いで言っていたのだろう?
ジェンダーの問題は一定量の悩みとしてずっと抱えてきました。
実際には、ジェンダーを含むアイデンティティですが。
どんなことにしても、弱者が声を上げるということは死ぬほどの勇気が必要です。
主義・主張など、軽々しく口にできることではない、と思って大人になりました。
悩みながらも向き合い、なんとか精神が保ってくれたので僕自身は乗り越えることができました。
LGBTQやダイバーシティなどと共鳴して過熱するフェミニズムは本質が見えにくくなっています。
MetooやKutooなどSNSで簡単に活動に参加できることが本来の主義を歪めている原因にもなっていると思います。
SDGsにしても環境破壊にしても反核にしても、全ての活動が軽んじられている。
ハッシュタグ貼っときゃ活動家なのか。
顔と名前を晒して人生をかけて批判にも向き合って主張していく誠実さが、本人の意思を更に強めていくということを先人たちは教えてくれている。
でも、現代ではそれは違うと気付きました。
ツイッターで気楽にデモクラシー、くらいが現代のスタンダードのようです。
街頭のデモはコンパですもんね。
広まることの方が大事、として活動家達は受け入れてるようですし。
それでいいんでしょう。
ただ。
-ISTを名乗るな。
-ISMを語るな。
とだけ思う。
ツイ-、とか、ネト-を冠しなさいよ。
本質を知らないイスト達、移り気なイズム。
何でもありかな。
答えは風のなか