一人で眠るのかい?

僕の世代でロックが好きなヤツならBUCK-TICKを無視できる人はいないと思います。
好きであろうと嫌いであろうと、その異質な存在は意識せずにはいられません。

パンクやハードコアが好きだった僕はビジュアル系という新しい世界観に興味を持ちました。
どのジャンルでも到達できていなかった世界観の演出はかなり突出していました。
その点ではXよりもBUCK-TICKの方が際立っていたように思います。
Xと言えばタケシの元気が出るテレビでおはようヘビメタとかやってましたからね。
世界観もクソもない。
それが良かったですが。

パンク好きが話すビジュアル系の話ではよくある話ですが、パンクスでも聴けるビジュアル系、という線引きがあって、それがこのXやBUCK-TICKとかの辺りまでなんですが、80年~90年代前半位までのビジュアル系というのは男臭さとヤンキー臭が漂っていました。
パンクであれメタルであれビジュアル系であれ、この当時のロックバンドが棲み付いていたライブハウスは本当にバイオレンスで刺激的でした。
田舎者の僕は東京に行くだけでも心躍るのに、地下室への階段は異世界へ踏み込むような興奮と緊張がいつもありました。
爆音と激震、罵声と暴力、血とゲロ、酒と煙草、クソの掃き溜めでしたね。
ブロックとかレンガが宙を舞っていたのは謎でしたが、生肉をステージから投げるヤツもいれば火を吹くヤツもいるんですから、熱狂の渦中ではなんでもありですね。

時代が進んでビジュアル系は次の世代、GLAYとかその辺のバンドが台頭してきて確立したジャンルになっていって細分化も進みました。
その辺からよくわかりませんが、どうも芸術性や世界観が先行して不良のエネルギーみたいなものは失われていきました。
男臭さなんて真っ先に排除されました。
その頃からか、女性のようなメイクをしてクネクネ動くバンドが増えましたかね。
シャズナが売れたあたりから何かがぶっ壊れて変わったんだなと思ったりしました。
その当時、LGBTQ問題なんて声を上げる機運は全くなかったはずです。
まだまだ差別の対象だったころです。
一部のアーティストの表現が一石となって今に通じているのだろうか。
無論、当事者たちはずっと戦い続けているのでしょうし、届かなくても声を上げているのでしょうが、表現の世界からのアプローチは伝わりやすいのですね。
だからシンボルになりやすいのでしょう。

BUCK-TICKは進化し続けてビジュアル系を牽引する存在であったのだと思います。
櫻井敦司への追悼のメッセージには多くの声が寄せられています。

ファンというほどに好きだったわけではありませんが、ショックを受けてます。
でも、悲しまずに送ります。
一時代を彩った男に、BUCK-TICKの櫻井敦司として最後までステージで生きた男に敬意を表します。


安らかに、なんて言いません。
ISSAYが先に向こうでライブやってますよ。
合流して盛り上げてください。
hideもTAIJIもいますよ。
暴れまわってください。
Kも一緒にやりたがってるでしょうね。

一人で眠ることはなさそうですね。

楽しそうだなあ。

サヨナラ
優しくて悲しかった笑顔