継承と承継

誰かの何かを別の者に移すのは困難なことです。
名の通った家に生まれたものは親から家督と共に多くのものを受け継がなければなりませんが、名の通っていない家の生まれで次男の僕にはその苦悩はよくわかりません。
無名の家の墓を受け継ぐだけで兄は大変な思いをしています。

形あるものを継承するのはまだいいのでしょう。
その物自体を調べればわかることは多いでしょうから。
思想や理念のようなマインドの承継は本当に難しいことだと思います。
兄が手こずっているのもまさにここです。
親父の想いなど知らん。
話は理解しています。
兄も僕も。
親父は受け継いだものを拡大解釈し大きな意味を持たせてしまっている。
現代にはそぐわない価値観で。
重い。

家族でさえこれです。
家族だからかもしれませんが。

だから、他人の想いを受け継ぐなんてことは並大抵のことではありません。
仕事の引継ぎでは、お互いの理解がモノを言います。
共に過ごした時間はとても重要です。
その局面の意味にも左右されます。
託した者は楽になりますが、受け継いだ者は先人の想いも自身の思いも背負っていくのです。
誰かの助けが必要になるでしょう。


大病によって急死してしまった三浦健太郎氏の「ベルセルク」を森恒二氏が描き継ぐのだと言う。



なんてこった。
どれだけの葛藤があったことか。
その後の自身の漫画人生を大きく狂わせる危険性があるのに。
森氏の覚悟を想うだけで泣けてきます。
未完の大作はアンタッチャブルですから、そこに手を出すということは成功してもダメージを負うに違いありません。

それでもやると言ってる人が批判されるのはなんだか空しくなります。
見守ればいいじゃないか。
嫌なら見なければいいじゃないか。
時を止めて保管するより、アナザーとなっても続けて完成する方が報われるし救われる。
リアルタイムの読み手である僕等は後世に語り継ぐ役割がある。


20年位前にも似たようなことがありました。
伊藤計劃氏が超大作「屍者の帝国」を書き始めてすぐに亡くなってしまった。
円城塔氏がその後を書き継ぎ完成させてくれました。




伊藤氏が書き終えたらこうはならなかっただろうという想像はつきますが、そんなことはどうだっていい。
宙ぶらりんになってしまった僕等を着地させてくれたのですから。

今回の森氏の発表で屍者の帝国を思い出した人も多いはずです。
作家が自身の憧憬を横に置いて他人の作品を承継するなんて狂気です。
僕等には歓喜しかないはずです。

批判はあってもいいですが、愛ゆえであると信じたいですね。