子供の頃は早く大人になりたいと背伸びをしたり年齢にそぐわない振る舞いをしてみたり思考を深めてみたりしたものです。
成人し身の丈を知ると過去を嘆いてやり直したいと慟哭する。
やがて将来を諦観できるようになるとベストでもベターでもなくただ無難に生きるようになります。
小さくまとまって色褪せた無味無臭の世界でただ生きるだけです。
それでも、背負うものができるとそれを守るためとムリヤリ奮起しますがいつも空しさが付きまといます。
歳をとることなんてただ時に流れただけで意味なんてないのに、あるはずのない意味を見出そうとして苦しみます。
あるがままを受け入れられるまでにかかった歳月は40年。
今また世界は色づき始めて将来は見渡せなくなるほど広がりを見せています。
ガラスの壁や天井があるかもしれません。
突き破るエネルギーはもうないかもしれません。
上手く潜り抜ける年の功はまだないかもしれません。
少しだけどわかっていることがあります。
それはもう悲観も絶望もしないということ。
良くないことが起きても、それすらも楽しめるように。
黄金時代は若き日々ではありません。
今がその時です。
経年優化