社会の歯車たれ

社会人とは歯車になることと言ってよいと思います。
歯車は単独では存在する意味がありません。
何かを動かすために別の歯車と噛み合って動力を伝えます。
人間は何かのために生きるか生かされるかするものです。
自身の目的ではないとしても。
そのためには、他者と協力することが必要です。
関係は良好な方が良い。
一人でいたい人間は山奥に籠もって勝手に生きればいい。

人は歯車として、消費して使い捨てにされることを嫌います。
社会や会社のシステムの近代化に伴い組織は効率を求めるようになり個性を封殺するようになったことへのアンチテーゼでしょう。
特に70年以降のサブカルでは歯車になりたくない、なるなと言ったメッセージを送る表現者は多かったように思います。
不景気になり社会がうまく回らなくなった頃、その表現は見なくなりました。
それはそのはずで、元々その表現は的確ではなかったのです。

歯車とは、力を伝達するための機構で組織などの集合体に必要な存在です。
必要とされる存在になる。
人間を支える大切な根源的なアイデンティティーです。
喜んで歯車になりましょう。
誰かの力を受け取って誰かに渡しましょう。
それは大小様々な形状で良い。
できることなら偏らないように素数の葉を持つと良い。


歯車の精度を上げるためには大事なポイントが4つあります。

しっかりした軸を持たせること
歯車同士の適度な距離感
充分な潤滑油
なるべく多くの歯車を噛み合わせること

僕等が歯車になったとき、

軸はそれぞれの生き方、考え方を持って芯を持つこと
距離感は互いを尊重し合い、尊敬し合える謙虚さを持つこと
潤滑油は愛情や優しさを満ち溢れるほど与え合うこと
一人でも多くの人とかかわりを持ち共存すること

となります。

いいんです。
歯車で。

交換可能な部品は、非属人性。
僕等は歯を増やして大きな役割を持つようになったり、歯を減らしてピンポイントに特定の役割に専念したりできます。
噛み合う他の歯車との関係性でいくらでも変化できる。
目的に合わせた歯車に成るように自分を作り上げていく。

自分だけでがんばることはない。
誰かの力を借りて回ればよいのです。
誰かに噛み合っていれば誰かに力を送ることができる。

遠くでどんな結果をもたらしているかわからないのは不安かもしれない。
それは歯車の回り方で、調和で感じ取れるのではないでしょうか。

人とはこれすなわち歯車です。
会社も同義。
社会も同義。
互いに素。
良き歯車たれ。