知覚動考

僕が今まで見て来た人で優れている人には共通点があります。
ずば抜けた能力を持っている人はみんな目がいいです。
視力のことではなく、目利きというか、着眼点というか、見るべきものを見極めている。
例えば作業のような手本を見る場合、物を見るのでなく作業者の道具の持ち方や姿勢や目線、身体の動きを見ています。
その動作の結果が物に表れるので、物は最後に見れば良いのでしょう。
その仕上がりと動作を紐付けていけば納得がいくものです。
その紐付ける考察まで優れているから恐ろしいですけど。

最近、「線は、僕を描く」を読了しましたが、青山君はいい目を持っており、湖山先生がそこに才能を認めているシーンが印象的でした。

気付き、とは散らばっています。
誰も隠していない。
僕が思う技術の最高は、全てを晒しているのに誰も真似できないレベルのもの、と思っています。
真似されたくないと隠すようなものに技術の真理などない。
きっともったいぶっている人にはその技術の不完全さと弱点がわかっているのでしょう。
真似されたらすぐにそれがバレる。

技術を追い求める道は果てしなく長く深く遠いものです。
知識にしても同様でしょう。
何かをひたすらに求道するというのはそれ自体がもはや才能なのかもしれませんね。

ただ、みんながみんなそんな風になれるわけない。
なにか一つを極めたとしても、その人は他の事ができないかもしれない。
それを補い合うため、チームや会社や団体がある。
天才はそれを忘れがちだ。
しかし、稀にそれを自覚したリーダーは居たりする。
それこそ恐ろしい才能です。


僕はとにかく目を、耳を、鼻を、舌を、指を、心を鍛えたい。
僕は天才じゃなくていいから、普通のヤツでもがんばればそれなりにいいコトあるよ、って証明したい。
失敗したヤツだってやり直せるよ、って腐ってる奴等に言いたい。

なんとかなるよ。
ともかくうごこう。