その道は丘へと続いたのか

遥か昔、アグネス・チャンが子連れでテレビ収録に来たことに超絶バッシングがあったと言います。
当時、僕はまだ小学生だったかと思います。
よくわかりません。
大人になってからこの論争について知り、書籍やネット記事などを多く読みました。
この論争、とにかく多くの著名人が名乗りを上げています。
批判派、擁護派きれいにわかりやすく分かれていたようです。
昨今、流行りのディベート対決もこの論争の熱量には敵わないのではないでしょうか。
SNSがない時代、発言の場を持たない一般人は新聞の投書欄に書きたがるほどだったとか。

さて、この論争、何が問題だったのでしょうか?
職場に子供を連れてくることの弊害とは何なのでしょうか?

本人は言う。
「子供を連れて行ったことで職場の雰囲気がなごやかになりました」
鈍感にもほどがあります。
僕が以前勤めていた会社では、産休明けの社員が子供を連れて出勤していました。
問答無用にかわいいでしょ?を押してけてくるのです。
かわいくないとは言えないし迷惑な顔はできません。
したくもない抱っこをヘラヘラ笑ってするのです。
子は宝、とは認めますが、だからといって全ての子供がいつでもかわいいわけではありません。
こどもにもこちらにも機嫌や余裕など、精神状態によって見え方、感じ方は変わります。
それでも、そんな気なしに何食わぬ顔して平然とやり過ごすのです、大人は。
泣き声がうるさくてもあらあらどうしたのー?なんて仮面を被るのです。
バブーなんてムリヤリ破顔した自分を許せなくなるのです。
僕が冷たい人間でコミュ障だったのだとしても、そんな場面では無理にでも合わせます。
それくらい、こどもという存在は人に圧をかけるものだということを当人たちがわかっていないことに腹が立つのです。
こどもが嫌いなのではなく、職場で和むつもりなんか毛頭ない人間にとっては本当に居心地が悪くなるのです。
実際、こどもはかわいいし癒しでもあります。
でも、それをこの場に求めていないし、この場に相応しくない、他でやってくれ、と言いたくなるのです。
子連れで出勤する必要があるのなら、職場がそれを可能にする対応が必要です。
保育室の設置?保育士の常駐?
そんなの無理だ。
中小企業でそんなことできるわけがありません。
解決策を打てない状況でも一方的に始められてしまったらとりあえず我慢するという無策を打つしかないのです。
だから二重に疲れるのです。

当時のアグネスならシッターを専属で付けるくらいできたはずです。
すると今度は、こどもは母親と一緒にいるべきだと、おひとり様(ではなかった)教祖が背後でやんややんやと騒ぎ立てていたのです。
紛れもない正論。
だから余計に疲れる。

この頃、時代は男女機会均等法が施行された頃だとか。
この論争を様々な面から見てみたいと思い、批判派、擁護派、客観的な記事などに目を通しても遂に見つけられなかったのは、その時旦那は何してた?です。
ただ見つけられなかっただけかもしれませんが、なんか時代を感じます。
母親がどうあるべきか、という論争に決着がつくはずがありません。
こういう問題は一人の母親がかくあるべき、と答えを出せることではありません。
家族や地域、会社、なにかしらのコミュニティを用いて解決する問題です。
現代ならそうゆう規模の話に発展するでしょう。
保育園落ちた日本死ね、と嘆いた母親は決着がつかなくてうやむやになった問題に一石を投じ、待機児童問題が日の目を見ることになりました。
こどもを預けられないから働けない、という事実から結局のところ、論争の批判派が優勢だったことを示していますが、実際この問題はどっちかが勝ってよい問題ではありません。
ウィンウィンなんて都合の良い答えはなく、だからズルズルと30年近くたっても進展していません。

僕は数年前に自治会の役員をやっていた頃、定例会議に1~2歳だった長男を連れて行かなければならない日が一回だけありました。
あの時の居心地の悪さったら耐えがたいものでした。
おやおや?
僕はどちらの立場でも居心地の悪さを感じている。
なんでだろう。
わかってる。
それは僕が弱者だからです。
職場で子連れ出勤をした彼女は社長の娘です。
子供を連れて参加した自治会で僕は新参者でした。

アグネスは強者だったでしょう。
取り巻きが文句を言うはずがありません。

問題は複雑です。

批判派、擁護派、それぞれの言い分に良し悪しがあります。
良いとこどりして悪いところは解決できる第三案が必要です。


僕自身の気持ちを整理してみると、どちらかというと批判寄りです。
多くの批判者が言っていた様に、大人の世界に子供を入れるな、と思うし、なにより自分の経験上、こどもを連れて仕事なんてできないと思いました。
無論、僕の育児スキルが底辺だから大変だったわけですが、それを抜きにしても、周囲の態度が違うのはやはりこどもの存在が圧をかけていたのだと思います。
そうした空気を読まずにかわいいでしょ?と言える鈍さと正しさには辟易します。
それでも、物理的な環境に起因する問題、業務中に子供の世話をすることによる時間や金銭の不公平感など、いくつかの問題が解決できれば有りだと思っています。
非現実的ですが、取り組みは大事だと思っています。


九州の介護事業所で子連れ出勤が問題になっているそうです。
小規模多機能の施設の職員が子連れ出勤し、市役所にクレームが入ったとか。

同僚の納得、利用者の快諾、業務への支障、こどもの精神的安定、整えなければいけない問題は多くあります。

僕の友人・知人にも子連れ出勤を可にする取り組みをしている人がいます。
バイタリティあるなーと感心します。
もう少し、事業が安定して取り組む必要が出てきたとき、その戸を叩きます。

時代を進める者達。
応援しています。


その道はまだ丘へ辿り着いていないでしょう?
たくさん分岐したはずです。
多くの人が合流したはずです。
皆が通れる道があったらいい。
皆が登れる丘があったらいい。